批判は立場とは切り離せない

飲食店などのクチコミでよく見ますが、みんなが褒めている店を、ときどき、たった一回食べに行った自分のモノサシだけで全否定している人がいたりします。あるいは全体のことを抜きにして、とても些細なことで気分を悪くして書いている人がいます。

そういう書き込みがあると、今度は、その人の意見が傾聴に値するかどうかを意見を読んだ人が評価吟味することになります。つまり、評価者が評価される立場になってしまうわけです。でも、短絡的かつ感情的に否定的なことを書く人に限って、自分が一方的に評価し裁く立場にあると思いこんでいるフシがあるのです。

批評であるためには、評価の軸、基準を示す必要があります。
そして、いちばん大切にして単純な軸は、書いた人です。その人の人柄や立場、経験、知識、物事に対する理解の深さ、などにあります。

それはリアルの場面で考えてみればわかります。普段の言動が全くちゃらんぽらんな人物が言った言葉はみんな信用しません。これに対して普段の言動が思慮深く、誠実な人の言葉は説得力があります。
しかし、ネット上の匿名の発言では、どんな人の発言も共通のデジタルフォントで表示され、「 平等 」に扱われます。そして、発言者の立場や背景は、多くの場合分かりません。分かるとしても本人が自称した場合です。それが真実かどうかも確認できません。一般的な言い方をすれば、非常に信頼性の低い情報であると言えます。

読む側がそのことを意識しないですべてを真に受けたら大変なことになります。匿名の人というのは、いわば実体を持たない幽霊のような存在です。幽霊が、生きている人の社会に好きなように干渉できたら、悪質な霊のいたずらで、世の中は大混乱に陥るでしょう。匿名の発言は、読む側もきちんと自分の評価のフィルターを通して、読むようにしなければなりません。


匿名でも正しい意見であればいいと考える人がいるかもしれません。でもそれは違います。意見は真理ではありません。意見というものは、発言した人物の立場と切り離すことができないものです。資本家の立場、労働者の立場、消費者の立場、その立場によって見え方は違います。立場が明確でない意見は、建設的な議論の素材になりにくいものです。
もちろん、狭い利害に立脚せずに、一市民の立場、人間としての立場などでの発言も可能ですが、これには、かなり広い視野と識見を持って総合的な判断をする自信が必要です。単なる独断を一般的な意見として語ってはいけません。


他人を批判することは簡単だと昔からよく言われます。まして、自分が言い返される恐れのない匿名の安全な立場で一個人を否定することは簡単です。誰にでもできるいちばん簡単なことをしておいて、何か自分が偉いような気分で自我を肥大させるのはよろしくありません。

「 批判は実名ですべし。」 実名では言えないようなことは、もう少し恥ずかしそうに言ってもらいたいと思います。そういう大原則が、今は完全に忘れられているのです。