より善く生きる

われわれ俗人は基本的に人間としては素人である。よくてもアマチュアである。その普通のアマチュアから、より良きアマチュアになれるかどうかが人生の課題なのだと思う。
企業の倫理も個人の良心ももはや壊滅的に思えてしまうこんな時代だからこそ、あえて訴えたい。「 まともに生きよ 」、「 より善く生きよ 」と。


米国流の実績主義がもてはやされた結果、「 プロフェッショナル論 」が花盛りである。一芸に秀で、それで金を稼いでメシを食っていくのがプロだと言われ、何でも屋のゼネラリストは過去の遺物と言い切る著名なコンサルタントもいらっしゃる。
しかし、自称「 オレってプロ 」というのにロクな奴はいない。生業にしているだけのことである。プロという意識を強くもつばかりに、謙虚で献身的な精神が失われている人が多い。
ある分野ではどんなに優れたプロでも、「 自分 」に執着したり、自分に酔いしれて「 自分 」の利害や感情をすべての頂点に置くような者は、人間としてはズブの素人であるといわなければならない。プロはひとから評価されてはじめてプロなのである


一流のプロと呼ばれる人たちはアマチュアの気持ちを忘れていない。結果にこだわり、結果を出すことで報酬を得る人がプロだと定義しても、一流のプロと言われる人はお金のために仕事をしているわけじゃあない。プロだ、プロだという前に、まずは自己の信念を持ち、人として真っ当であれ、世の中の役に立つことをやるということだと思う。
逆説的な言い方かもしれないが、どんなにそれで報酬を得ていようと、使命感や責任感や向上心のために挺身する「 アマチュア精神 」がなければ本当のプロとは言えない。


人間が絡んでくる場面での論理的思考とその実行は、人間の利害損得や思惑のすべてを捨てなければ成立しない。プロという思考などはない。自らの生き方をかけた覚悟の思考があるだけだ。