人が生きる意味


合理化の時代である。コンピュータ文明が発達し、人がいなくても、誰がやっても、モノが作れるようにする工夫と仕組み作りに加熱している。そこにおいて、合理的ではない、無用だ、と削り取られていくもののなかに、人が生きていく上で大切な要素が大量に含まれているように思う。
こういう時代は間もなくピークを迎えるのではないか。そのときに、無くしてしまったコトの大きさに人々は気づくのだ。


そしてその後、人が生きる意味を問い直す潮流が強まるのだろう。そのときに、何が重要で、何が基礎になるのか。誰もがそこに自分がいる意味を意識し、考えて、取り戻していかなくてはいけない。それは難しいことではなくて、例えば、仕事をしていて生き甲斐を感じる、というようなことなのだ。


今は仕事に生き甲斐、やり甲斐を感じることがとても難しい時代である。
仕事のやり甲斐があるということは、仕事の当事者であるということである。
やり甲斐を感じてもらえるような職場環境を作っていかねば、と思うこの頃なのである。