「べき論」はいらない


「 やるべき 」という行動を伴わない 「 べき論 」 と、最後まで 「 やり抜く 」こととは、まったく別である。


「 べき論 」を語る人たちはきわめて多い。「 社内を改革すべき 」と声高に叫ぶひとはどこの会社にもたくさんいる。居酒屋へ行けばこの種の激論が溢れている。
自分はいつも正統派、正義の味方なのである。でも翌朝になると、昨夜の正論はすっかり忘れている。主張することで解決してしまったからである。実行する覚悟も能力も責任もない正論である。多くのマスコミが得意とする分野でもある。
例えば、どこかの会社の不祥事を例にしよう。メディアは、不正を正して会社は生まれ変わるべきなどと、もっともらしく評論する。しかし、そのメディアでも不祥事が頻発しているではないか。不正が蔓延していた企業の風土を実際に変えることは並大抵のことではないのだ。歴史のある会社、大企業ほど、立ちはだかる 「 壁 」も高く、トップの交代くらいで「 壁 」が壊れるような簡単なことではない。残念ながら 「 べき論 」 には責任も具体策もないのである。口先だけのかけ声ならば誰でも出せる。


それに対し、一つのことを実際にやり抜くには、客観的なデータと、綿密な計画と、勝算と、これらをベースにした情熱と覚悟が必要になる。さらに、途中に立ちはだかる抵抗や、障害に打ち勝つだけの体力や精神力も欠かせない。ヒト・モノ・カネに恵まれ、十分な情報の下で改革ができることなどはないのである。
「 ないない尽くし 」の中で、いかに成果を上げるかが仕事なのである。困難なを乗り越えるからこそ価値が生まれるのだ。

もちろん、一人の力で「 やり抜く 」ことは難しい。会社を変える原動力は社員一人ひとりの総和だ。彼らが「 やり抜く 」 人に変わらなければ 「 べき論 」 で終わってしまい、現実は何も変わらない。見えない「 壁 」 は私たち一人ひとりの心の中にある。これを壊して 「 やり抜く 」 力を引き出すことが、改革には不可欠なのだ。



引用文献: 「 壁を壊す 」 吉川 廣和 著、ダイヤモンド社