ルールの簡素化


日本社会( 国民、マスコミ、業界関係者、すべて他人ごとのように言う人たちの集団 )は、ライブドア事件村上ファンド事件など、金融に関する事件が起こると、「 政府は何やってるんだ 」、「 法律が不備なんじゃないか 」といった論調になる。そのご期待に応えるべく、頭のいい官僚の方々は精緻に細かい法律やガイドラインを作成し、それが内閣や国会をスルーで承認され、その机上の方針に従って検査は運用されているのだ。
そうやって「ルール」を細かくして監視を厳しくすることで善と悪の境界線は明確になるかというと、実は、それは更なるルールや監視の強化につながり、何がほんとに悪いのやら判断がつかなくなって 「 些細なことでも悪は悪 」と指摘され社会全体が疲弊する。ルールや監視を強化することは一見問題の解決につながるように見えるのだが、大局的に見るとそれは「 負の構造 」を単に強化するだけに過ぎない。必要なのはこうした負の構造を認識することだと思う。
仮に、金融庁検査に対する「 第三者チェック機関 」を作ったとしても、その運営はやはり「 ルール 」に基づかないといけないということになる訳で、その第三者チェック機関の人はというと「 どういう検査や処分がいけないのかというのを細かくルールで定めてくれないと、仕事はできません。」と言って結局は堂々巡り。


重箱の隅をつつくような検査で金融市場が萎縮しているのは、市場経済国家として存亡の危機に関わることである。既にルールは細かすぎるほど細かく書かれているのだから、これからはまともに運用できるように簡素化することが必要だと思うのです。