倫理

人の倫理観は麻痺している。
人自身はそのことに気がついていない。倫理観の麻痺した者が「 私は倫理観が麻痺している 」 と気づくことはあり得ないから。


広島、長崎に原子爆弾を落としたのは正しいことだったと信じているアメリカ人が大勢いる。それは論理的にも倫理的にも間違った考えであるにもかかわらずアメリカ人の間に根強く浸透している事実である。
多くの地域の神話や伝承話に、人が堕落したために神が怒り大洪水で滅ぼしたというような話がある。しかし洪水で死んだ人のなかには罪のない子供や赤ん坊も大勢いただろうに。
神は無慈悲な大量虐殺者であり、そして人は自らを創造した神を容認し、模倣する。正義の名において無実の市民を殺傷するのだ。
人には同情や慈悲や義憤という感情がある、と人は弁護する。しかし、その範囲は狭い。自国の同胞が殺されれば、嘆き、悲しみ、同情するかもしれない。だが、遠く離れた国で何十万という人が殺されようと心は動かない。特にそれが自分たちの所業である場合には。


この地球上で「 それは彼らの問題だから 」 といものは存在しない。すべては「 私たちの問題 」 なのだ。でも、ほとんどの人はそれに気づかない。気づくのは、自分や自分に親しい者にその悲劇が訪れた時である。その時になって初めて、人はそれが実はずっと前から「 私たちの問題 」 であったのだと自覚をするのである。



引用文献:「 アイの物語 」 山本弘 著、角川書店