ISO化は誰のため


CSRのISO規格化が進められている。(ISO26000)
正確には“C”が取れて会社だけでなく社会全般に適用される標準規格になるそうである。
キーワードは“マルチステークホルダー”ということで、いろんなNPOやNGOの人たちがあるべき論を標準にすべく頑張っている。
自然保護、人権擁護、児童労働、貧困対策、人身売買、人種差別、女性差別などなど、会社としてやるべきことが規定される。それはそれで必要なことだと思います。

でもISOというマネジメントシステムになった時点で、目的と手段の取り違えが起こる。社会のお役に立つためにやっているのではなく、ISO認証を取るためにやっている、ということに。
これまで、環境の規格(ISO14000)でも、品質の規格(ISO9000)でもそんなことが起こっている。喜ぶのはISO導入を指導するコンサルティング会社とISO取得を認証、定期審査する会社だけという事態に、またもやなるのだろうか。形だけのCSR“活動”など、いったい誰がやりたいと考えるのだろう。


社会的な活動をしているNGO・NPOの人達はすごい熱意を持っているのだと思う。そして他人(企業)が同様の行動をしないことが理解できなくて、それが許せない人もいる。
私が企業でCSRを進める立場にいたとき、こんな人達との会話にとても消耗した。
社会的に、一般論的に正しいことを、「なぜやらないのか」と責められるのはツライ。『あなたたちの言っていることは正しいと思うし、社会に必要なことだと判っているつもりです。でも、そんな何でもかんでも1つの会社ができる訳はないじゃないですか。』と心の中では反発もした。


ISO26000が、強制ではなく自発的に受け入れられるには、どうすればいいんだろう。


参考:ISO26000と参加型プロセス