グローバル経済の常識をひっくり返す


お金を貸すことがなぜ貧困の解決策となるのかと尋ねられたとき、グラミン銀行総裁のムハマド・ユヌスはこう答えた。「 経済学者の中には、雇用を創造することが貧困問題の解決策だと言う人がいる。しかし、雇用は正しく創造されなければ、貧困を永続させるだけだ。人間としての基本的なニーズを満たす金額以上に稼げないのであれば、雇用は人々を永久に貧困の中に閉じ込めてしまうだろう。したがって、雇用されるよりも資金を借りて自営することの方が、その人の財政を改善する上で、ずっと大きな可能性を持っている。 」

貧困国の最大の敵、それは国内経済を牛耳る政府だ。彼らが持つ、社会主義民族主義、外国企業や投資家などへの反感、巨額の援助などの要因が重なり、政府はますます肥大化する。
一方で、民間事業は抑圧され、内燃機関の働きが妨げられてしまう。先進国は 「 貧困国にもっと援助を 」 と呼びかけているが、施しは役に立たない。市場開放どころか逆に歪めてしまうことが多い。ほとんどの場合、首都近くにダムや大型発電所を建設するといった巨大インフラプロジェクトが行われるだけだ。そして低所得層の一般国民にはなんの機会も与えられない。


世界でも最も貧しい国の一つであるバングラデシュ。世紀の物語がここから始まる。
戦争で荒廃した祖国の発展を夢見る起業家イクバル・カディーアは、バングラデシュでの携帯電話サービス立ち上げを考え、ただ一人、さまざまな企業や投資家にその夢を説いて回る。彼の夢に共鳴し、協力を申し出たのは、2006年ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行の総裁、ムハマド・ユヌスだった。さらに、ノルウェーの電話会社、ジョージ・ソロスら米国の投資家、日本の総合商社である丸紅、NGO、そして現地の人々・・・。彼の夢は多くの人たちや企業を巻き込み、そして「 グラミンフォン 」 が誕生する。

バングラデシュの1億4800万の人口の大多数は農村部で暮らしている。そこにグラミンフォンは25万台のビレッジフォンを通じて1億人に通信手段を提供してきた。ビレッジフォンを保有するのは、グラミン銀行からマイクロクレジットを受けた女性起業家たち。「 テレフォン・レディ 」 と呼ばれる彼女たちはビレッジフォンを村人たちに使ってもらい、使用料金による収入でローンを返済する。年間所得は平均で750ドル。これはバングラデシュ人の平均所得の約2倍だ。
「 つながることは生産性だ 」。 グラミンフォンは民間投資を活用して技術的なコミュニケーション手段を普及させ、新しい富を生み出し、バングラデシュを長続きする成長軌道に乗せることに成功したのだ。
バングラデシュの電話の普及率は過去10年間で50倍となり、100人に12台となった。グラミンフォンは1997年にサービスを開始し、今では1,000万人以上の加入者を獲得して売り上げは10億ドル以上、利益は2億ドルを超える。これまでに10億ドル以上の投資を行っている。

「 情報はクレジットと似ている。クレジットとコミュニケーションは選択肢を狭めることなく、人々に力を与える。どんな技術も、それを実際に使う人々のために開発されるべきであり、使う人にとって適切なものでなければならない。 」 とイクバル・カディーアは言う。


この一大事業は外国人投資家の存在なしには実現しえなかった。「 外国人投資家 」 の支援を受けて 「 現地の起業家 」 が「 IT 」 を輸入する。この3つの力が、厄介な政府と巨額の援助で歪んだ市場によって長く抑圧されてきた市場を変えた。これらは、いわば経済の「外燃機関」だった。
成熟した欧米の市場では内燃機関がうまく働く。だが、貧しい国の市場では、内部で活気を生み出すことができない。だから外燃機関が必要なのだ。

グラミンフォンの場合は、国外の力が好ましい連鎖反応を起こした。利益は再投資につながり、新たな派生ビジネスを生んだ。このような競争が起こると、資本市場が誕生し、政府の改革が促される。
やがて株式が売買されるようになり、資本市場に厚みが出る。自由化政策、規制の整備が行われ、自国の技術、起業家、国内資本からなる内燃機関で自律的に成長するようになっていく。



引用文献: 「 グラミンフォンという奇跡 」 ニコラス・サリバン 著、英治出版