夢の百姓


赤福社を例にあげるのは極端かもしれないが、多くの企業が目先の利益にとらわれて将来を台無しにする戦略を取っている。それがいかに愚かしいことかを思い知らせてくれる。
この本は農業の話であるが、企業経営の本質をついている。経営の基本は、何をするのだって、どこでだって、いつだって変わらない。

作物の可否を論じる前に基本である「 土づくり 」を考える、不必要な機械への投資を控え土に投資する、という考え方はすべてのビジネスに通じる話である。また、取引先との間に強固な信頼関係を築くこと、記録をとることこそが経営の第一歩、という考え方は頭ではわかっているがなかなか実践ができないものだ。

著者は、農業は経営としても十分成り立つと述べる。そして、経営として成り立つ農業を行なうには、「 農業の原点 」を見失わないことが大切だと述べている。「 農業の原点 」とは、健康で丈夫な土づくりをすること。そして、化学資材や機械に頼らずに、身体を使って 「 勘 」 を養うこと。これは特別なことではなくて、日本の農家が伝統的にやってきたことである。もちろん、化学肥料や機械など便利なものは使ってもよい。 しかし、「 農業の原点 」 を見失った瞬間から、農業経営は成り立たなくなってしまう。 経営が成り立たず儲からないから、後継者が不足する。負のスパイラルである。

私は、最初から利益が上がらないほうが当たり前だと思っている。苦労せずに儲かるようであれば、だれだって経営者になれる。しかし儲かっている経営者はそんなに多くはないと思う。それほど経営とはむずかしいということである。


それではどうすれば利益が出るようになるか ? 私はあまり自分の役に立たないと思うことでも「 他人のためになると思ったことをする 」ことが経営の第一歩だと思う。「 自分 」よりも 「 他人 」 を優先するのである。勉強だと思ってやったのに思わぬ収穫があったような場合、利益を上げようなどと考えてはいけない。できるだけ安く供給して、まず相手に得を取らせるのである。そうすればあとにつながるだろう。当たり前のことである。


多くの農家は「 輸入品と同じ価格で作れるわけがない 」と考えがちである。しかし、冷静に考えてみれば不可能ではない。「 作れるわけがない 」 というのは単なる思い込み、つまり自分自身への甘えである。そうした甘えが、それ以上の行動を起こさせないだけなのである。

農業で生きていくためには、現実から逃避しないことが肝心である。何か問題が起こっても徹底的に考えて、その解決のために一つ一つ実践していくことが、人間として当たり前のことだと思う。自分の作っている野菜が、海外から輸入されているのなら、どこの国からどのぐらいの値段で入ってくるのかを調べる。そして、それらに対抗するためには、コストをどのぐらい削減すればいいかを逆計算すればいいのである。
そこまでしても勝てる見込みがなければ、いっそ海外に出て生産するという選択肢もある。私がいまもう少し若ければ、いまからでも海外に出ていって野菜を作ってみたいと思う。とことんまでやってみもせずに、足踏みしている農家が多すぎると思う。


何度も言うが、土づくりにはとことん投資をして、体力も使うべきだと思っている。反対に土づくり、作物づくりに直接関係のない部分に関しては、徹底的にコストを減らしていくべきだと思う。


百姓の仕事は土づくりであり、作物づくりである。この原点がおろそかになっている一方で、販売に力を入れないといけないとか、有機農産物など付加価値商品を作らないといけないとか、原点からずれたことに農家の目が向いているような気がする。日本の農業が抱える問題の根っこはここだと思う。

早い畑だと五月にあいてしまう畑もあるので、「 もったいない 」 と言う人もいるけれど、それは畑を大事にしない人の言葉だと思う。しかも二回、三回使うとすると、それぞれにプラスの経費がかかってくるので、経済的にも損をすることになるわけだ。


私の農業は「 土づくり 」 を基本とする農業である。土を大事に考え、土を豊かにすることに常に力を入れてきた。
私がどうやって「 土づくり 」をしているかというと、実はそれほど特別なことをしているわけではない。要するに、いい土を作るために、まず、いい堆肥を作ることから始めているのである。
土づくりとは何か、いい農産物とは何かということを見失った瞬間から、実は、農業経営は成り立たなくなるのだ。どんなに時代が変わろうとも、農業の基本は 「 土づくり 」 である。この基本を忘れてしまったのが、いまの日本の多くの農家だと思っている。


農業に自信をもっていれば、心に誇りがあれば、服装を着替える必要はない。自らの職業に自信をもてば、世間を気にする必要などない。


私は周りの農家を見て心配になったことがひとつあった。それは機械への過剰投資である。


ただ野菜を買ってもらうのではなく、こっちの考えや希望ははっきりと主張し、相手のためにできることは最大限する。こうした取引は、長い間の信頼関係があってこそ成り立つものだと思う。価格が安いとか、高いとかいった表面的なことだけでは、決して生まれない信頼関係だと思うのである。


私は彼に、一日の作業内容や使った資材など、すべてについて記録を取らせた。自分でデータをつければ、次からは自分一人でできるはずである。私自身も記録をつけることで農業経営をしてきた。記録をとることは経営の第一歩である。


現代っ子にこうした厳しい作業をさせるのは容易ではない。でも、一つの秘訣がある。それは「 口だけで厳しくせず、自分もいっしょになって働く 」ということである。実際に手本を見せてあげるのである。


自分で効果がありそうだと思う資材があればそれを土に撒くべきである。機械に回すお金があるなら、「 土づくり 」 のために使うべきだと思う。


引用文献: 「 夢の百姓― 『 正しい野菜づくり 』 で大儲けした男 」 横森 正樹 著、白日社