賃金格差を考える


国税庁の民間給与実態統計調査結果からも賃金の男女別格差が明らかだが、今日本で目立つ議論がこの、同一労働=同一賃金化の実現といった格差是正の問題である。
偽装請負もパート化も根幹はここに行き着く。ホワイトカラーエグゼンプションの議論ももそうかもしれない。雇用者側はできるだけ安く、被雇用者側はできるだけ高くとまではいかないにしろ、適正な賃金を願っている。そこでのギャップが賃金格差問題となる。


アングロサクソン流の人事行政格言に 「 Equal pay for equal work 」と言われる、同じ仕事に対しては同額の給与が支払われなければならないという原則がある。そこでは年齢や男女の区別による格差はなく、職務と階級で給与が決まる。

ただし、パフォーマンスを要求されるビジネスでは決定的な条件がある。
ウインブルドンで男女の賞金金額を同額にすると決定されて 「 男女格差の解消 」 と話題になったが、ウインブルドンの決定は、女子選手たちがプロフェッショナルなアスリートとして男性選手たちと同じ数のお客様を呼べるゲーム、つまり同質の仕事をしているのだから同じペイを払うのだという、つまり彼女たちの仕事にはそれだけの価値があるというビジネス原則に拠っている。

賞金金額の平等は、人権とか男女平等論とかそういう社会的・倫理的な動機でなく、実はビジネスモデルによって導かれた決定なのである。
これは例えば、映画製作者が俳優をきめるのに、男優より女優のほうが客を呼べて興行収入が稼げそうならば、高額な出演料を払ってでもそちらを主演にするのと同じことである。

もっとも、仕事の責任が果たせなければ彼女たちももらえる給与は下がるということで、equal pay for equal workという原則でも、ポストに座ってさえいれば給与が自然にもらえるようなものとは違うようだ。