労働問題における米国の戦略


コーポレートガバナンスや経営術、会計方式などをグルーバルスタンダードとして採用させ、その普及と宣伝に努め、そこから外れるものは容赦なく切り捨てるのが米国の典型的なやり口だ。
日本でも、学識経験者や官僚の主導によって導入されている。これと同じようなことが労働の分野でも始まっている。


労働CSRとは、児童を雇用することや、成人であっても強制的あるいは差別的待遇のもとで働かせるなどの労働分野での人権を侵害せずに、労働者の生命と健康を守り、日々の企業活動を適正行うことを意味する。
労働問題といえば、最低賃金の引き上げや同一労働 = 同一賃金化の実現といった格差是正の議論ばかりが目立つ日本であるが、自国の利益を最大化するために労働CSRという概念を世界中に広め、それをグローバルスタンダードとしてしまう米国の戦略がある。

「 労働CSRは歓迎すべきことじゃないか 」とふつう誰もが思うだろう。問題は、それを推進し、世界中の企業にお墨付きを与えるのが “ 米国の ” 民間認証機構だということである。

そもそも、人権や労働権の推進を本務としていない組織が、国連やその専門機関の活動を肩代わりできると考えるのが誤りであり、たまたまCSRという概念のなかに両者の管轄がオーバーラップする部分があるからといって安易に他社の役割を一部担おうとすることは両者にとって不利益にしかなりません


「 認証 」 する側は誰からも「 認証 」 されることがない。極端なことをいえば市民社会の委託を受けて正式にできたものでもないFLAほか民間認証機構は、それぞれが勝手に、自分たちがよいと考える基準を掲げてさまざまな企業にお墨付きを与えたりダメを出したりしているにすぎない、というのが現実なのです


社会条項を多角的貿易枠組みの中に貫徹できなかった米国は、それと同じ効果を労働CSRによって達成しようとしていると私は見ています。そして、このことは途上国のみに向けた政策ではなく、日欧という経済ライバル ( とくに労働CSRについてほとんど対応をしてきていない日本 ) に対しても効果があるのです。


すなわち、国連やILOなどのような正規の国際政府間機構が定めた国際標準を無視し、自分が考える「公正労働基準」を「標準化」することによって、たとえば中国市場における日本企業の活動に制限を加えることができるでしょう。


労働CSR問題において、米国国務省が民間機構を利用し積極的に推し進めようとしている目的は、たんにアジア地域における労働基準を高め、労働者の生命と健康を守ることだけにあるのではない、もっと大きな隠れた戦略が存在する。そう思われてならないのです。

問題のひとつは、民間の認証機構が労働CSRに関わることの問題は2つある。まずは、それらが単なる私的団体に他ならないからだ。何を根拠に「 認証 」 を行うのか、その基準は恣意的としかいいようがない。
民間認証機構が依拠する基準には、ILO( 国連の専門機関である国際労働機関 )条約がそのまま引用されることが多い。「 それはILO条約に対する誤解に基づく 」と、過去にILOでの勤務経験がある著者はいう。最も大きな誤解は、ILO条約が政労使3者の合意によって制定され、法としての正当性をもつのに対して、民間団体が進める労働CSRはそこまでの正当性がないという点である。自分たちがいいと思う基準を勝手に定め、自主的に適用しているだけなのだ。これはILO条約を骨抜きにすることにもつながってしまう。
例えば、認証機構が児童労働の禁止を認証基準とし、その根拠にILO条約を引用したとする。ILOが定める児童労働の禁止条項には、当該国の事情に合わせてさまざまな付帯条件がついているのだが、一般的な労働CSRではそこまでの厳密さは要求されていない。せいぜい 「 15歳以下の雇用は禁止する 」という簡単なものである場合が多い。しかし、非常に貧しくて子供が働くのがあたり前の国においては 「 15歳以下 」という年齢制限は非現実的である。こうした基準が原因で職を失った15歳以下の児童は、背に腹は代えられず、より危険な闇労働や犯罪に手を染めてしまう危険性がある。


もうひとつの問題は、衣の下に鎧が見えるからだ。認証機構の背後には米国政府がいる。ある機構の収入のうち、半分以上が政府からの贈与金で占められているという。
米国政府は、この労働CSRを “ 葵の御紋 ” として使おうとしている。著者は近い将来、労働CSRの認証を受けない企業とは取引しないというのがグローバルスタンダードとなり、例えば、中国を生産基地として米国企業に製品を卸している日本企業の活動に、横槍が入る可能性を指摘している。

労働法制が完備されていない中国や東南アジアでは、拠り所として民間認証機関の労働基準を自社の行動要綱に採用する企業が増えているという。アジア諸国へ進出している日本企業は多いが、この事実に気づいている会社はないようだ。

企業行動要項を正式に掲げ、ILOその他の正式な国際法上の義務を遂行することを公約することです。得体の知れない ( ちょっと言いすぎですが )NGOから基準実施を認めて貰うのではなく、自分たちはしっかりと、国際法を遵守しているということを示し、逆に相手側が依拠する認証機構の正統性を問いかけることをすれば、相手が守勢にまわるはずです。


今こそ政労使の協議の上に、「 和 」の精神に則った労働CSRを構築することが、日本の ( アジアの ) 特色を生かすことになる・・・


労働CSRにおいては政労使三者による合意と共同が重要不可欠なのです。イギリスのようにCSR大臣というものを内閣に置くまでにはならないとしても、日本でも厚生労働大臣の下にCSRを管轄する機関を設けるべきです。

日本企業は労働問題に対する関心は低い。日本国内ではCSRというと環境活動や社会貢献という意味合いが強く、労働や人権問題がCSRの範疇に入るという認識がまだまだ浅い。
市場原理主義に基づき規制緩和を押しつけながら、他方では労働CSRを競争相手への戦略的武器として使おうとする米国に対して、「 ソーシャルラベリングの罠に陥る 」ことなく、労使協調に基づいて大同団結し、日本発の世界標準を構築して誤ったグローバリゼーションに呑み込まれないことが肝要という著者が提唱するのが、米国基準を世界基準にしないための「 労働CSR機構 」の創設である。民間主導ではあるが、政労使の3者の合意のもとに、国連、ILOなどとも密接に連携する労働CSRの旗振り機関を日本主導で立ち上げよと説く。


引用文献: 「 労働CSR入門 」 吾郷眞一 著、講談社現代新書