千載一遇のチャンスを迎えている


本来あるべき企業の目的とは、優れた商品をつくり、優れたサービスを提供し、社会に貢献することである。
ところが現在の日本では、企業買収が繰り返され、リストラは日常化し、米国経済の後を追って企業経営はマネーゲームと化している。誰もが実感のない見せかけだけの景気回復。知財関係は欧米に牛耳られ、お家芸だったものづくりも中国に追い抜かれようとしている。

この先、日本はどうなるのか。
誰もが抱くこの疑問と不安に、日本はむしろいまこそ千載一遇のチャンスを迎えているのだ、と著者は説く。IT産業がすでに成熟産業になり、経済を牽引してくことができなくなりつつある現在、新たな基幹産業を創出できなければ、ほんとうの景気回復はありえない。そして、その新産業を造り出すポテンシャルをもつのは欧米でも中国でもなく、実は日本なのだという。
そのためには、いくつものハードルを越えなければならない。新しい市場のあり方、新しいファイナンスのあり方、新しい会社のあり方が、まず必要とされる。次に、それらを活用できる人材。これらを、どのように日本に糾合させ、会社を活性化していくかの具体策が示されている。

アメリカ流のコーポレート・ガバナンス( 企業統治 )の要には「 企業は株主のもの 」という考え方があります。この考え方をつきつめていくと、企業の目的は株主にとっての価値を上げること、すなわち「 株価を上げること 」になってしまいます。


株式の時価総額を増やすことが優秀な経営者という評価につながる。そのためには、有力なヘッジファンドに株式を買わせたほうが、他の資金も流れ込んで株価が上がります。あるいは、メディア受けする話題を常に提供して期待感を与え、人気のある株に仕立てたほうが効率がよい。しかし、これではよい製品やサービスを人々に提供するという本来の活動は、二の次になってしまいます。


時価総額というのは、その企業を今解散するとしたら、それが市場でどう評価されるかを示したものにすぎません。本来あるべき企業の目的とは、優れた商品をつくり、優れたサービスを提供し、社会に貢献することのはずです。


減損会計をはじめとする中途半端な時価会計主義の手法は、マクロ経済の振り子の幅を大きくし、製造業をますます窮地に追い込んでしまうもの。


自らの未来に長年の蓄えを賭けるというのは、ごく当たり前の発想なのです。また、戦争や災害といった想定外の外部要因に直面した場合に、企業が顧客や従業員に対してもつ責任を果たしていくためにも、内部留保は欠かせません。


長期的な安定した発展のためには、上場企業はストックオプション制度を取り入れるべきではありません。


ヘッジファンドが狙う「 資産はたくさんあるけれども収益力がよくない会社 」はROEの低い、したがって株価の安い会社です。しかし、遊休資産を売却すれば、簿価と売却価格の差額分は利益になります。こうして得た現金を極端な増配という形で株主に配分させるわけですが、彼らは同時に株価の値上がりによるキャピタルゲインを狙っているのです。


これからは「 機械が人間に合わせる 」ための方法を考える必要があります。そうした発想が、次の新しい基幹産業を生むための原動力となるはずだからです。


人間は誰でも、クライアントだけでなく、サーバにもなりうる存在です。人間のもつ本来のコミュニケーション形態により近づくためには、クライアントサーバ型ネットワークでは不十分なのです。


現代のベンチャー企業は、ビジョンが資本と出会ったときに生まれます。


引用文献: 「 21世紀の国富論 」 原 丈人 著、平凡社