日本人が本来もっていた 「 美しさ 」、「 上質さ 」


かつて日本の社会のいたるところに、上質な人間がいました。

たとえ経済的に豊かではなくとも高邁に振る舞い、上に媚びず下には謙虚に接し、自己主張することもなく、他に善かれかしと思いやる ------ そんな美徳を持った日本人がたくさんいました。
また、そのような人々によって構成されていた集団も、自ずから高い品格を備えていました。

たとえば、ものづくりの現場には、自分がつくった製品でお客様に喜んでいただけることを誇りに思い、品質管理を強制されずとも、自分が手がけた製品の品質や出来映えに、万全の注意と細心の心配を払い、手の切れるような上質の製品を作る人が存在しました。

それは、商品を売る店頭でも同様でした。駆け出しの店員であろうと、一生懸命にお客様の身になって尽くしました。その上質のサービスも決して上司にいわれたからではなく、またマニュアルに書いてあるからでもなく、もちろん売らんがためでもなく、思いやりに満ちた優しい心から自然に発露してくるものでした。


日本の企業が、そのような上質の人間に支えられていたからこそ、今日の日本経済の発展があるのだと思います。

ところが近年、世の中を見渡せば、以前にはとても考えられなかったような、ひどい出来事が続いています。たとえば、それは食品偽装事件やリコール隠し、また粉飾決算インサイダー取引に見られる、企業の社会的意義が根本から問われるような、不祥事の数々です。
官庁でも同様です。談合から裏金づくりまで、公僕として民に貢献すべき人たちの情けない事実が次々と露になっています。家庭でも、「 親殺し 」、あるいは 「 子殺し 」といった、人間としての尊厳を真っ向から否定するような、悲惨な事件が続いています。

新聞を繰るたび、そのような報道に接し、「 一体、この国はどうなっていくのだろうか 」と暗然とした思いにとらわれるのは、私だけではないはずです。
私は、そうした社会の現象もすべて、日本人の質的低下がもたらしたものだと考えています。


戦後60年、日本人は廃墟の中から敢然と立ち上がり、奇跡的な経済発展を成し遂げました。その結果、確かに物質的には豊かさを得ましたが、逆に精神的な豊かさを急速に失いつつあるのではないでしょうか。
この進み行く心の荒廃こそが、日本人をして、その質が劣化してしまったように見せるのです。また、現代の日本社会に混迷と混乱をもたらしている真因なのです。
古今東西の歴史をひもとけば、国家が成長発展を遂げると、やがて国民が慢心し驕り高ぶるようになり、国家が没落するということを繰り返しているのです。国家の隆盛は、国民の心の様相と一致しています。


今こそ、日本人一人ひとりが、精神的豊かさ、つまり美しく上質な心をいかにしてとり戻すかを考えなければなりません。年齢を問わず、すべての日本人が改めてその品格、品性を高めることができれば、日本は世界に誇る上質な国民が住む国として、再び胸を張れるようになるはずです。私は、それこそが、真の日本再生であると考えています。

そのようなことを思うとき、かつて、とびきり美しく温かい心をもった、ひとりの上質な日本人がいたことを思い起こすのです。



引用文献: 「 人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ 」 稲盛和夫 著、日経BP社 刊