SOX法と社内評論家


あるべき論に終始し、力不足の同僚を説教し、決して自分では行動を起こそうとしない、あるいは行動しようにも行動の技術が伴わない人は「 評論家 」と陰で言われ、疎まれる。誰かが成功をおさめると「 オレもそれは考えていた 」と必ず言う、そんな社内評論家たちを私は軽蔑していた。説教を受けた同僚、後輩だけでなく上司も扱いに困ってどうすれば良いか考えあぐねている。
社内評論家は不要である。いつの世でも、自ら考え自ら実行する人材が求めれれていると思う。


ところが、そんな社内評論家にも適所があったのである。
SOX法において、経営者評価という仕組みがある。監査法人から指摘される前に、自らの組織の内部統制の仕組みを経営者が自分で指摘、評価する仕組みだ。( もちろん、ほんとに経営者がやるわけはない。その立場にアサインされた担当者がやるのだが。 )

水を得た魚である。何しろこれまで溜まっていた鬱憤を言いたい放題。何を言ったって、それは経営者の言葉となり、全ては相手( 言われた側 )が改善しないといけないことになる。針小棒大、いや正義感の芽生えからか、なんでもかんでも指摘してしまう。


穏便にことを済ませようとしていた側にとっては驚天動地の出来事である。許せない。

だがしかしちょっと待て。仕事に忙殺されていると、目的が手段になったり、あるべき姿を見失ったりするのはよくあることである。そういった時に、彼は再度あるべき姿とは何か、目的とは何かを教えてくれたのである。
監査で独立性の確保という要件がある。自らが手を染めていることの適正性について、自ら判断してはいけないことを意味している。彼は会社にとってその独立性を持った数少ない一人であったのだ。

まさに適材適所。
天賦の才を活かすSOX法、恐るべし。