欠如していくもの


「 ○○力 」という言葉が流行っている。論理的思考力、コミュニケーション力、質問力、とキャッチーな言葉が続く。これらは確かに重要な能力である。しかし、「 ビジネスには 『 ○○力 』 が大切だ 」という機能分解的、分析的なものの見方には賛同しかねる。


「 思考力 」。
人が仕事をする力は 「 思考力 」だけではない。そして一つの力だけで構成されるものでもない。例えば、「 思考力 」があってもコミュニケーション力がなければ役には立たない。では、コミュニケーション力とはなにかといえば、その一部は思考力だが、一部は生まれつきの人柄であったりもする。天性のものもあれば、努力で補えることもある。多様な要素があるのだ。生来内気で口べたな人がそこで努力すべきか、別の長所を活かすべきか、というようなことは簡単には言えない。
こういうふうに場合分けをすればするほど、人は複雑なバランスで生きていることがわかる。要するに人が持っている力を、「 ○○力 」と単純に分解して見ようとする風潮自体が人のエネルギーを削いでいることになるのだと思う。


「 仕事でいちばん必要な能力は何か? 」と聞かれたら、私は「 当事者能力 」 だと答える。
その人がそこにいること。自分がそこにいる意味がわかっていること。自分がやらなければ仕事に穴があいてしまうこと。仕事に穴をあければ信用を失って二度と仕事は来なくなり生きていけなくなること。その自覚があること。
「 当事者能力 」とは、このような自分の持ち場を守ろうとする意識と能力のことを言う。
人は他人事だと思うと能力の半分も出さないが、自分のことだと思うと力を振り絞って、通常考えられている以上の能力を発揮したりする。またそのような場に置かれると人は成長するのだ。


組織の内部は、このような当事者としての自覚がある人とない人に二分されている。
いまはたいてい組織自体が特定の人を必要としない仕組みを目指している。ある人が辞めてしまったので業務が廻らなくなった,そういうことが起きるとその仕組みは不完全ということになる。だから、すぐに別の人で代替が利くように改善されていく。このような仕組みが完成に近づくほど、いわゆるマニュアル通りの仕事しか許されないようになっていく。
結果として、そこで働く人にとっては、「 お前の代わりはいくらでもいる 」といつもメッセージを送られているのと同じことになる。当然ながら当事者能力は発達しない。


組織の力が強くなるに従って、管理が強化されるに従って、個人の力は衰弱していくのだ。



P.S.
年金問題や薬害問題の役人と同じなのです。個人としての顔と名前と心を持っていないと、人はどんどん無能になり、無責任になる傾向があります。全員がそうなる、というのではありません。しかし、そういう傾向が生じやすくなるのです。
だから、仕事においても、人はある程度、個人の裁量と判断を任され、その責任とやりがいを感じないと成長しないのです。このように考えると、当事者能力の欠如は個人の指向に関わるだけではなく、教育や社会や経済のしくみ、会社組織のあり方などすべてに関わるテーマなのです。