経営者の器量


企業の経営者というのは、たいへんな重責を負っています。一瞬たりとも気を休めることができず、努力を怠ることもできません。経営者であることはそのストレスや責任に見合うほどの価値がないと思うかもしれません。経営者の献身があるからこそ、多くの社員が現在や将来に希望をつないで生活していけるのです。

そこで人間はようやく現実の生活・他人・社会・種々なる経験に対する標準が立ってくる、尺度が得られる。自分で物を度( はか )る( 量・衡 )ことができるようになる。


人は形態的に言えば、ひとつの 「 器 」 であるが、これを物指しや研( ます )にたとえて、器度とか、器量というのである。「 器量人 」という言葉が昔からよく使われるが、つまり、多くの人を容れることのできる、内容的に言えば、人生のいろいろな悩み苦しみを受け入れて、ゆったりと処理してゆけることである。

古代、宰相を「 阿衡( あこう )」と称したが、阿は倚と同音で、天下が倚( よ )りかかれるだけの力をいい、衡は 「 はかり 」 の棹( さお )で、平・直を意味する。天下万民を信頼させて公平にさばくことができるという意味である。


この器度・器量に結びつけて、器識・器量ということもいわれる。矛盾・衝突の多い国政などになれば、知識人などでは片々として頼りがない。


よほどの識量・器識・胆識がなければならない。晋( しん )の謝安( しやあん )とか、わが大石内蔵助の人物が、民衆の間に喧伝されるのは、民衆によくこの人間的偉大さがわかるからである。

引用文献: 「 人生の大則 」 安岡正篤 著、プレジデント社 刊