私たちの一歩から世界は変わりはじめる


本が慢性的に不足しているネパールで、「 必ず本を持って帰ってくる 」と約束し、その約束を実現することをきっかけに世界最大級のNPOを作り上げるまでにいたった、元マイクロソフトのエグゼクティブという地位を捨てて社会起業家となったジョン・ウッド。

「 僕は、『 できない理由 』ではなくて『 どうすればできるか 』を考えたいんだ。君はどうだい? 」彼は私たちにこう問いかける。私たちがアクションで応えるとき、世界は変わりはじめる。


マイクロソフトに入社するや頭角を現し、30代前半で早くもオーストラリア・オフィスのマーケティング・ディレクター。それが当時のジョン・ウッドの肩書きであった。
企業戦士の“ 特殊部隊 ”として働きづめの毎日を送っていたウッドは、あるとき休暇をとってネパールのトレッキングに参加しようと思い立つ。都会の喧騒とはいっさい無縁の美しい風景。だがそこで、ウッドはネパールの厳しい現実を目のあたりにする。たまたま立ち寄った地元の学校では、どう見ても定員35人の教室に70人の生徒たち。つづいて案内された図書館には、わずか数冊の本しかない。それも鍵がかけられていて簡単には手に取れない。ダニエル・スティールの恋愛小説 ( 表紙では服のはだけた男女が抱き合っている )、ウンベルト・エーコの分厚い小説 ( イタリア語 )、ロンリープラネットのガイドブック ( モンゴル版 ) ……。バックパッカーが置いていった本は、幼い生徒にはむずかしすぎた。ウッドはこのとき、校長とひとつの約束をする。子供たちが生涯、本を好きになれるようなすばらしい図書館をつくるために、きっと本を持って学校に戻ってくると。


ネパールの子どもたちに本を寄贈するアイデアを得た夜、彼の顔には大きな笑み( a big grin on my face ) があった。一泊2ドルの宿で夕食のテーブルについたときも笑みは顔に張り付いたままだった。隣に座りあわせたカナダ人女性が、いったい何がそんなに楽しいのかと、話しかけてきた。ジョンは迷わず、この国の子どもたちに本を寄贈するプランについて語った。すると、彼女は本の輸送コスト、税関手続き、関税、などの考えうるマイナスの可能性についてすかさず指摘し始めた。ジョンは「 できないこと 」について語るのは好まなかったので、話題を転じた。
夜、ベッドに入って、キャンドルの灯のもと、持ってきた本を読み始めた。本は、ダライ・ラマの著書だ。ダライ・ラマは言う。「 何かを手放してこそ、手にすることができるものがあります。それが、happinessです 」ジョンは思った。「 物質的成功は何になる? たまたま自分は若くして財政的にはサクセスを得た。しかしそれは良い時を得て、良い会社( マイクロソフト )にたまたま居合わせただけであり、稼いだお金が自分の内面を成長させたとは思えない 」


カトマンズの市街地に戻った彼は、インターネットカフェから150人の友人知人にメールで訴えかけた。
「 だから協力してください! 送料や手数料はすべて僕が負担します。友だちにも声をかけて! だれだって、人生で何かを変えたいと思っている。そのチャンスです。みなさんにとっては小さなことでも、貧困と故郷の孤立ゆえに教育を受けられない子供たちにとっては大きな変化を起こせるのです。最悪の選択肢は、何もしないこと 」


ジョンは、マイクロソフトを辞め、ストックオプション200万ドル( 約2億3,000万円 )を元手とし、出資者を募ってNPO「 Room to Read 」を設立した。1999年のことだ。ジョンの出資依頼にこたえたのは高度専門職につくビジネスパースンたちで、彼らは何か意義のあることに自分の稼いだお金を使いたいという思いを共通して持っていた。
ジョンは企業家スタイルでNPOを「 経営 」、目標を立て次々とクリアしていくことで自らの実現したい価値を浸透させていった。そして9年。これまでに建設した学校は28校、図書館3,540カ所、届けた本は140万冊 ( 2007年6月現在)。


ジョン自身は年収10万ドル程度で、飛行機は友人のマイレージを利用している。家もまだ借家だ。しかし、人生の充実度は格段に向上した。


これまでのビジネスは「 ゼロ・サム、誰かがトクすれば、誰かがソンする 」、「 誰かを傷つけて自らが太る 」であった。ジョンが示したのものは、単に社会企業家としての生き方だけではなく、「 誰も傷つかないビジネス 」のあり方だ。

自分がどの国に生まれるかという偶然のせいで、字も満足に読めないまま一生を終える世界があるなんて、僕の想像を超えていた。僕は自分が教育を受けてきたことを、あたり前だと思っていたのだろうか。


校長が言った。「 ごらんのとおりです。子供たちに本を読む習慣を教えたい。でも、これではどうにもなりません 。」 教えたいのに教えるための本が足りない。そんなふうに訴える教師がいるなんて。僕は力になりたいと思った。でも、偉そうなことをと思われないだろうか……。
校長はそんな僕の悩みを吹き飛ばした。彼の次の一言が、僕の人生を永遠に変えることになった。
「あなたはきっと、本を持って帰ってきてくださると信じています。」


ダライ・ラマによれば、僕たちのいちばん基本的な義務は、この地球上で自分たちより「 持っていない 」人びとを助けることだ。


マイクロソフトは僕を昇進させ、二日後にはいつもの生活に戻らなければならない。でも反対側では、僕にとっての優先順位が急激に変わりつつあった。数百万人もの子供が本を読めずにいるというのに、台湾で来月ウィンドウズが何本売れるかということが、本当に重要なのだろうか。


それでも自分の決心を宣言しなければならない。そして、僕をあきらめさせようとする人たちを説得しなければならない。世の中はリスクを嫌う人ばかりだ。


シドニーにいるマイクは、最高のアドバイスをくれた。「 バンドエイドをはがす方法は二つある。痛いけどゆっくりはがすか、痛いけど一気にはがすか。きみが選ぶんだ。」


私がマイクロソフトで何か学んだとすれば、「 大きく考えること 」です。


いい人材を見つけたら、カネを出して雇うこと。それ以上の見返りをもたらしてくれるからだ。
情熱があって、自分の数字を知っている人間だけを雇うこと。これも僕がスティーブに学んだ多くの教訓のひとつだ。スティーブ・バルマーに学んだ教訓――忠誠心は双方向。


ポーターは、旅行業界の歴史を通じて、レンタカーを洗車した人はだれもいないと言いました。所有している意識がなければ、長期的なメンテナンスはしないのです。


世界を変える手助けをするために自分の人生を少し変えてみようと思っているなら、僕の心からのアドバイスをひとつ、考えることに時間をかけすぎず、飛び込んでみること。

もしも世界を変える手助けをするために自分の人生を少し変えてみようと思っているなら行動で応えよう。たとえそれがどれほど小さなことであっても、わたしたちのアクションを必要としている人たちが必ずいるのだから。


参考文献: マイクロソフトでは出会えなかった天職 」 ジョン・ウッド 著、ランダムハウス講談社